なぜヒトは旅をするのか

 榎本知郎「なぜヒトは旅をするのか」化学同人・同人選書
 
 非常に魅力的なタイトルに惹かれて読みました。「ヒト」ですから、生物学、人類学上の「人間」ということです。この本の問題提起自体が非常に面白かった。霊長類の中で旅をするのはヒトだけであること。ここで旅の定義は、自分の属する集団の生活圏を出て「よその集団」の生活圏へ行き、再び自分の属する集団の生活圏へ戻ってくる行動とされています。これが可能になるためには「よその集団」から敵として攻撃を受けない、あるいは場合によっては宿泊、食料の便宜を受けることが必要です。敵対的でもなく親和的でもない中立的な関係、著者はこれを「許容関係」と言っていますが、このような許容のあり方がヒトに特徴的であるという考えです。

 この考えがその専門領域でどこまで支持されているのか、私は門外漢なので分かりません。「よその集団」の生活圏に入った場合には敵と見なされることが多いのではと想像してしまいます。特に食糧の確保が必ずしも十分でないような環境では。この本だけでは必ずしも精密な論考にはなっていない気がしますが、それでもこういう視点で考えられるというのが新鮮でした。

 実は最初に手に取ったとき、人間の心情に関わる話かと思ったのですが、その意味では少しはぐらかされた感もあります。
 それでも、旅をすることがヒトに埋め込まれた遺伝子の欲求なのであれば、それに従って旅に出ることにしようかとほのかに考えます。

木を植える人

 「木を植えた人」という絵本があって、確か南フランスのあたりで荒れ地になってしまった場所に木を植え続ける男の話だったと思いますが(手元にないのではっきりしません)、静かで割合感動的な話だったように思います。日本でも宮沢賢治の「虔十公園林」という作品がやはり木を植える人の話になっています。ちなみに現在書店で手に取ることの出来る「木を植えた人」の絵の方は、私はあまり感心できなくて、昔見たフォロンの挿絵シリーズが抜群に良かった記憶があります。
 何故これらを思い出したかというと、最近森に関する学術書を手に取る機会があり、その中で、木を植えることが必ず善であるという「植林神話」があるという箇所を読んだためです。森自体(植物自体)は自己の保存のために生きているので、人間にとって都合の良い面もあるし都合の悪い面も当然持っている。洪水を防止する機能を持つ森と、逆に渇水時に水を保全する機能を持つ森とは同じではないし、生物の多様性を保つにしてもどの生物を守るかによって木や森の種類は異なってくる。というような内容でした。(あまりに簡単に読み飛ばしてしまって、著者には申し訳ありませんが)
 こういうことははっきりと考えたことがなかった(知識もなかった)ので、今まではただ漠然と木を植えることは善という思いが無意識的にありました。その本の中で砂漠に植林をすることについての部分があり、「水が少ないところでは、樹木と人間は水を取り合う関係にある」と記されてあります。ただ植林に行くことが善ではないという認識です。これは考えさせられました。
 雨の少ない季節には庭の木もしんなりしますが、こちらが与える水はどこで誰が取り合っているのかと。

アソーレス紀(2)

アソーレスに元々行きたかった理由は、イタリアのアントニオ・タブッキがこの島々を題材にした作品を出していて、前々から気にかかっていたから。「島とクジラと女をめぐる断片」(須賀敦子訳)。
1970年代はじめに航空機が初めて就航した?、あるいは空港が新しくなった?らしく、そのころにタブッキがやって来ています。ファイアル島の空港にはそのときの新空港の写真が40周年とかいうことで展示されていました。空港とはいっても田舎のバスの待合所のような感じで、飛行機が着いて降り立った旅客たちは、それぞれの迎えに来た車などであっという間にいなくなってしまいます。取り残されたこちらはぽつんと客待ちしていたタクシーでファイアルの港まで行くしかありません。
 ファイアルの港はごく小さな町で、レストランやカフェの数は少なく、夏のシーズンではたいていすぐに満員になってしまいます。特にタブッキが通い、作品の中にも登場するピーターズ・カフェは大人気で、クジラのネオン看板の下の店はショップも併設して大変な繁盛ぶりです。すいていそうな時間を当てにしていって、やっと入れる有様。
 外国の観光客ももちろんですが、地元ポルトカルの人たちも団体で大勢来ていて、昨今のこの国の経済危機などどこにあるのかと思うほどでした。確かに通りすがりの旅人に国の実情が簡単にわかるとは思いませんが。
 やはりタブッキが作品に書いたピム港はすぐ裏手の方角にあり、こちらは閑散として、白壁の家々が真昼の陽の下で眠っているような印象でした。かつてはクジラの陸揚げ場所として使われたらしい一角のすぐそばに、こじんまりした庶民的なレストランがあり、地元の魚を食べアソーレスのワインを飲んで、つかの間至福の時を過ごしました。

アソーレス紀(1)

 この夏、ポルトガルの西海上にあるアソーレスという島(群島)を訪ねました。アゾレスと表記されることも多いのですが、濁らない響きの方が感じが良いと思っています。
 アメリ東海岸ヨーロッパ大陸とのちょうど中間にあり、ヨーロッパの西の果てになると思います。(大陸の西の果てはポルトガルのロカ岬)この地理的条件から、歴史的には複雑な役割を果たしてきたようです。
 9つの島からなる群島ですが、今回はファイアル島とピコ島のみを訪ねました。ファイアルは遠洋航海をするヨットの寄港地として名が知られていて、やってきたヨットマンたちが港の岸壁、敷石の上に絵のメッセージを描き残してゆくのが習慣になっているそうです。数え切れないほどのメッセージを見てゆくと、中に南米先端のフェゴ島から50日かけてたどり着いたというものもありました。港にはたくさんのヨットが風に索を鳴らしています。島の気候は変わりやすく、一日のうちに何度も短い雨が降ったりして、気温としてはポルトガル本土より涼しめでした。アジサイの多い島と聞かされていましたが、8月ではもうほとんどしおれかかっています。
 アソーレスはかつて捕鯨の基地として栄えて、現在ではホエールウォッチング、ダイビング、フィッシング、ヨットとマリンスポーツをメインにした観光でにぎわっています。「白鯨」にもアソーレスのことが出てくるし、捕鯨船の乗組員にはここの出身者が多かったということです。
                        (この項、続く)

ヨーロッパの自転車レース

 フランス、イタリア、スペイン等の自転車のロードレースを、時々テレビで見ています。自転車レースそのものに特に知識や興味があるわけではなく、コースに映し出される各地の何でもない田舎の風景が良い感じに思えるからです。緩やかな麦畑の中に点在する小さな村々や、険しい山上の古い町など、決して旅行ガイドなどで紹介されることのない風景。それからコースの途中に集まってきている地元の人たち。上空からの遠景も多いのですが、旅番組の一つのような感覚で何となく見てしまいます。

 旅行ガイドも十年くらいの単位でどんどん小さいところへ目が向いてゆくように思えます。「イギリスのbest kept village」「フランスの最も美しい村」といったたぐいです。海外旅行がまだ普及していなかった頃は、田舎町の紹介などほぼ皆無でしたから、どこまでゆくのだろうと気になるところ。自分の住んでいる街の反対側が最後の秘境、ということにもなりかねません。

テルマエ・ロマエ再び

 イタリア・フィレンツェに近い(ローカル鉄道で1時間ほど)モンテカチーニ・テルメという街に何日か滞在しました。いわゆる温泉保養地で、街の中に何カ所か「温泉」があります。日本のものとは異なり、基本的には飲用、プール式に入ることも出来るようです。最大の施設は実に豪壮で、一日、温泉の湯をちびちびとカップから飲みながら広大な敷地内を悠々と散策、休養して過ごすというのがスタイルらしく見えました。
 ところが、そこを実際に利用している人がほとんど見られなく、我々のような見学の旅行者以外に客のいる気配がしません。温泉の湯をくむたくさんの蛇口が、寒々としているばかり。果たしてこれでやっていけるのか、と心配になります。街のホテルの稼働率もそれほど高いようには見えませんでしたし。それに二年前に来たときには営業していたとても古くて由緒ありそうな温泉施設の一つは、廃業した様子で、外から見える中庭の彫刻も放置されたまま荒れ始めて見えます。経済の状況を受けてこのような文化も衰退してゆくのでしょうか。日本でのマンガ作品の人気とは裏腹に行く末が気になるところです。
 イタリアの不況は世に取りざたされますが、我々も泊まったホテルで盗難に遭い、道を聞いて案内されたら金を請求されたりと、かなり世知辛くなっている印象はあります。裕福そうな別荘や住宅が売りにでていることもありますし。街をゆく人々の様子や全体の雰囲気にはそれほどせっぱ詰まった様子は見受けられないのですが、旅行者の目というものはどこまで見えるものなのだろうかと考えてしまいます。

新藤兼人さんと「裸の島」

 映画監督の新藤兼人さんが亡くなりましたが、その「裸の島」という作品について思い出したことがあります。
 私は実際にはこの映画を見たことはありません。ただ公開当時、ポスターを見た覚えがあります。とても地味な(人づてに聞いてですが)内容の作品ということですが、昨年、フランスのブザンソンに行ったとき、当地のフランス人の一人が、この映画が非常に良かったという話をしたことを思い出しました。そのときは、どうして、日本でもそれほど知られていないこの作品をと、意外に感じました。そのフランス人は柔道をやる人で、日本へも度々来ています。「ネマワシ」などという言葉もよく知っています。
 一般にフランス人の映画好きなことは想像以上で、古い映画(外国のものも含め)も繰り返し街の映画館にかかっています。それを若い人が結構見ている印象です。そう言えばブザンソンは映画を初めて作ったとされるルノワール兄弟の生まれたところでもありました。こんなところにも新藤さんの作品を評価してくれる人がいるというのは、すばらしく幸福なことだと思った次第です。