鉄を歌う人(1)

 私は名前に「鉄」がついているので、鉄のことが多少気になります。鉄は宇宙にいつ出来たか、人類が鉄を見いだしたのはいつ頃か。これらに関しては沢山文献もあります。例えば、最初に製鉄(原始的な意味での)を行ったのはヒッタイト人ということになっていたようですが、ごく最近(08年4月)、トルコの遺跡から最古の鋼(紀元前22世紀頃)が見つかったというニュースがありました。

 人類がこれほど長く鉄とつきあってきているにもかかわらず、例えば日本での詩歌などに鉄が現れるのは意外に少ないように思うのですが、どんなものでしょうか。物語や小説の中に、刀・ナイフのような武器として、あるいは農具・はさみなど生活用具として表現されるものはたくさんありますが、これは除きます。知りたいのは、素材としての鉄あるいは鋼そのものを歌ったり表現したりした作品。
 ちなみに鉄と鋼は別のもので、鉄という場合には元素としての鉄、Feあるいは純鉄を指すものだと思いますし(鋳鉄を指すという人もいます)、鋼は鉄と炭素の合金のことです。一般に人が目にするのはほとんどが鋼でしょうか。

 宮沢賢治は化学畑(農芸化学?)出身だけあって、空の色の表現などに「かちかちに焼きの入った鋼」といった言葉を使っています。これはなかなか見事な表現で、実際に熱処理の作業とその結果を知っていたからだと考えられます。けれども殆どの人にとっては鉄で作られた「もの」には目が行っても、材質そのものには興味が行かないのではないでしょうか。出来上がったパンに興味を持つのはもちろん、原料となる小麦にだって普通はちゃんと目を向けるはずなのですが。
 (この項続く)