サッラディーンの剣(2)

 ところでダマスカスには他のアラブの都市と同様、大きなスーク(市場)がありますが、メインのハミディア・スークは日本のアーケード街を巨大にしたような感じでもう一つ面白みはなく、それよりも横道にそれたところの古いスークを歩く方が興味深かったと記憶しています。縦横に走る小道を迷い歩き、ふっと出たところが聖書にも出てくる「真っ直ぐな道」で、喧噪を抜け、嘘のように静かな通りでした。刀剣を扱う店もあったようです。
 ダマスカスから古都パルミラの遺跡へ行くためにバスを探した時には、かなり往生をしました。たださえ巨大な街で、いくつもバスターミナルがあるらしく、周囲の人にパルミラの名前を言っても全くらちがあきません。何時間も歩きまわり困り果てたあげく、ふっと航空券の世話になった現地の旅行社事務所を思い出して訪ね、そこで「カラジュウ・ハラスタ」という名前を教えてもらいました。そしてその名前を告げるとタクシーの運転手はすぐに「ああ」とうなずいて、郊外と思われる場所のバスターミナルへ連れて行ってくれました。その先は何から何までスムースで、あれよあれよという間に次の日の長距離バスのチケットを買い込むことが出来たのです。「カラジュウ・ハラスタ」という言葉は今でもよく覚えていますが、次々に目の前が開けてゆく様は、まるで「開け、ごま!」の魔法の呪文のように思えました。その夜はダマスカスの広場近くで「アリ・ババ」というレストランを見つけ、地下の洞窟のような室内、大きな扇風機の回る下で、心おきなく食事。何だか出来すぎの物語のようです。

 先程の鋼の加熱温度に関して、日本の刀剣の秘伝書では、山吹色、柿色、小豆色などと表現しているそうです。小豆色は少し温度が低いと思うので、焼き戻しの温度の目安かも知れません。高村薫の「照柿(てりがき)」という作品では、軸受け(鋼)の熱処理炉の内部の高温の色を照柿という言葉で表現しています。柿の実が陽に当たって輝く色という意味でしょう。染め物や焼き物の世界で使われる言葉と思います。しかし「アナトリアの平原に上る太陽の輝く」色はかなり白色の強い色に思えますが、「照柿」の色には赤味を強く感じます。ダマスカス鋼の方が純度の関係で、より高温の加熱を必要としたのでしょうか。