骨を歌う人(1)

 ホラホラ、これが僕の骨だ
と、詩人は歌っています。
 骨の尖(さき)はしらじらと雨に濡れ、ヌックと出ていて
 光沢もなくただいたずらにしらじらと雨を吸収している
 骨について、こんな内容を中原中也は表現しています。自分の骨を見るなんていうことは、実際には大きな怪我でもしない限りないわけですが、これは小川の縁に立つ杭を見ての心象風景と解説をされていました。
 そう言えばこの詩人は、月夜の晩に拾ったボタンについても歌っています。ボタンは昔は貝殻から作られたと聞いていますが、貝殻も骨もカルシウムを主成分としたセラミックスという共通点があります。(ただし、貝殻の主成分は炭酸カルシウムで骨の方はリン酸カルシウムですが)
 もう少し正確には、骨はアパタイトと呼ばれるリン酸カルシウム系セラミックスとコラーゲン蛋白質の複合体で、隙間の多い多孔体構造をしています。私も年を重ねてきたものですから、何度か亡くなった方の骨を拾うことをやりました。確かに、非常に複雑な多孔構造であるというのは良く見ることが出来ます。もちろんその時には、コラーゲンの方は焼かれて無くなっているわけですけれども。