浦島の記憶(4)

 面白いことにこの記憶合金は繰り返し使用しているうちにその効果が薄れてくる、即ち記憶ぼけが出てくることが分かっています。
何だか人間に似ていて親しみを感じる?
 形状記憶合金という材料がこれほど人の興味を惹く(他の金属材料でこれほど人が耳をそばだてるものは余り聞きません)のは、「記憶」というネーミングにあるように思います。人間や生物の記憶のメカニズムとは全く異なるのにもかかわらず、それに類似の挙動をすると言うことですが。ちょうど、金属材料の「疲労」現象が、割合に人に知られる(名前だけだとしても)のと似たようなことでしょうか。

 現在は浦島になることが出来ない時代のようです。どんなに遠い距離を隔てていても、リアルタイムで互いの情報が行き来するからです。以前、海外へ出ることが今ほど簡単ではなかった時代、外国の公園のベンチに座って、ここにこうしているのが外国なのか日本にいて夢を見ているのか判然としないような不思議な境地に立った記憶がありますが、浦島が故郷に帰り着いた時もそんな感じだったのではないでしょうか。浦島になれないのが果たして幸福なのかどうかは分かりません。

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