義仲の鎧(3)

 鎧の材質に言及されることがほとんど無いと書きましたが、例えば同じく平家物語の別の箇所で、矢が鎧を射通さなかったという記述はあります。これは鎧の鋼板の強度(機械的性質)を表しているわけで、先程の鋼板が高炭素鋼領域を含み、さらにそれが成形の段階で強加工を受けているとすれば、相当の加工硬化と相まって鋼板の硬さはかなり高くなっているものと思われますから、矢を通さなかったというのも理解出来そうです。
 
 もうひとつ、同じく「木曽の最期」の段で、義経の軍勢と散々に戦った後、義仲が今井四郎とただ二騎だけになってしまった時、「日頃は何とも思わない鎧が、今日は重く感じる」と今井に述懐する場面。大鎧の重量はおよそ40kgにもなったと言われます。薄いとは言っても、これだけ多量の鋼板を使っていれば当然のことでしょう。確実に沈むため、鎧を着て入水するという記述も多く見受けます。それだけ重いとすると、壇ノ浦合戦での義経の八艘跳びなどというのも眉唾ものですが。
 
ところで義仲寺には今井四郎の墓もあると思うのですが、訪れた際には気づきませんでした。巴塚というのはありましたけれど。
 
つわものどもが夢の跡としては、あまりに明るい季節でした。

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