境界について(2)

「境界」を考えるとき、国境ということがすぐに頭に浮かびます。「雪国」の冒頭の一節は、今では単に県境ですが、幕藩体制の頃は確かに国境だったわけです。
 
 ヨーロッパは今では大きなほぼ一つの単位となって、ある国から別の国へ移動する場合も面倒な検閲等がなくなりましたが、以前は鉄道で移動する時も、国境を越えるときに必ずいちいちパスポートのコントロールがありました。慣れない間は、やはり多少緊張しました。夜行の長距離列車だと、その都度起こされるわけで、かなり面倒だった記憶があります。コンパートメントに乗り合わせたいろいろな国籍の人たちも、最初は眠く不機嫌そうな顔をしていますが、コントロールが済むと皆ほっとしたように互いにおしゃべりを始めたりしたことがよくありました。
 
現在、航空機を利用することが多くなって、別の国へ行くときに利用する空港という場所は、実際は奇妙な空間だと思うことがあります。その国でもなく他の国でもない、コントロールゲートを過ぎた途端にその国からは離れるけれども、まだよその国ではない、宙ぶらりんな状況に思えます。

 多くのものの境界には、このように曖昧な領域が広がっているのでしょうか。

                (この項続く)