ものが壊れるということ(1)

 今回の大災害に関連して、ものが壊れることに今まで以上に思いを馳せるようになりました。地震及び津波の巨大なエネルギに対し、多くの構造物が破壊されたのをリアルタイムで目にしたわけです。
 一体、ものが壊れるというのはどういうことなのか、分かり切ったことのように思えますが、ミクロな視点で見れば、最も弱い部分に亀裂が発生し伝播してゆき、最終的な破断に至ること。もっと小さく原子のレベルで見れば、原子同士を結びつけている結合力が切られて、物質としての形をなさなくなることと言えるでしょうか。
 どのように材料が破壊に至るかということは、ミクロなレベルでも原子のレベルでもかなり分かるようになってきています(マーク・エバハート「ものが壊れるわけ」河出書房新社・はこの領域の好著だと思います)。壊れないものを作る必要は当然あるわけですが、では決して壊れないものを作るのは良いことなのかどうか。形あるものは必ず滅す、と言わないまでも、決して壊れないものというのは困ることになるはずです。とすると、その限界をどこに置いたらよいのか。

 また、これは別のことですが、最近の若い人に情報系の知識が爆発的に増えていることは確かで、必要なことではあるのですが、逆に物質の手触りのようなことに疎い人が増えているようで、少し気を付けなければいけないのではないかと思うようになりました。工学系を学ぶ若い人たちに、ものが壊れるということに対する想像力が足りないのではないかという危惧です。