ものが壊れるということ(2)

 大がかりな建造物が壊れるということに関して、モンス・デシデリオという画家の絵を思い出しました。壮大なローマ風の宮殿や街が崩れ行く様、あるいは静まったその廃墟の風景を数多く描き残しています。これは一体何だろうか、と言うのが最初の感想でした。なぜ、このような光景に惹きつけられるのか。破壊に対する欲望ということは確かにあると思いますが、破壊された後の静寂の風景に惹きつけられるのはどうしてなのでしょうか。死後の世界に思いを致すのと同じなのかどうか。
 幻想的な小説を書く山尾悠子さんが、この画家の絵に言及しているのを読んだ記憶があります。
 ところで、絵の中に描かれている巨大な石柱の壊れ方は、本当なのだろうかというのが別の感想です。古代の建築法に関する知識はありませんが、石を積み上げた構造が壊れる時は、一体どのように壊れるのか。イタリアでいくつかローマ時代の遺跡を見て、確かに石柱がすぱっと水平に折れて残されていたように思います。画家はそこから如何に想像をふくらませていったか、興味のあるところです。
 画家は残された破壊の跡からものの壊れる様子をイメージしていったと思われますが、ものを作るエンジニアは正常な構造物が如何に壊れるかを、実験を通してあるいはシミュレーションによって把握しなければ成りません。その時に必要な想像力(イメージする力)は、同じであるかも知れません。