ブランクーシと無限の柱(2)

 無限の柱の立つ公園は、街の中心から少し外れた公園に立っています。パリに倣って、寺院をはさんでキスの石門と無限の柱とが一直線上に並ぶように設計されたといわれています。確かにその通りなのですが、門から柱に至る道は途中から閑静な住宅地となり、しかもその途中を鉄道線路が直角に横切っていて、とてもパリの都市計画と比べるわけにはゆきません。それでも何となくのどかな街の様子は好ましく、公園に行くまでの道の至る所に水道の蛇口が立っていて、市民が自由に水を飲んでいました。ヨーロッパでこういう光景は珍しいのではないかと思います。ここの水はカルパチアの山系からの水で、きれいで有名なのだと人々は自慢をしていました。
 さて、無限の柱。これはそのためだけに造られた公園の真ん中にそそり立ち、高さは想像以上で、人が下に立ってもぽつんと小さく見えるだけです。空からの光を受けて金色に輝いている姿は、気持ちをはるか上の方向へ導くような感じがします。ところで、マラムレシュの田舎の木の教会を訪れた時、内部の二階へ上がる古い木の階段が、長い年月使い古され丸くすり減った様子を見て、これは無限の柱の作品を生み出すにあたってブランクーシにに啓示を与えたのではないかと一瞬考えました。田舎の村に育った彼が、このような形を無意識のうちにでも取り込んでいたのではないかと。
 田舎の村を歩いた時に撮った写真を現像してみたら、畑の中に点々と大きな積み藁のあるのが映っていて、ある絵描きさんがこういう形の積み藁はもうほとんど目にすることがないのだと教えてくれました。そう言われると印象派の絵の中に出てくる積み藁の形で、現在我々がよく目にする丸く巻き取った形とは違っています。こんなところからも、この国が古い形を連綿と残しているのだということが見て取れます。
 トゥルグ・ジウの街に建つブランクーシの像は、ハンマーを片手に彫りの深いいかにも朴訥な表情で、やはり半ば土の匂いを感じさせます。