帰林鳥語

 日の沈む直前、五階建ての銀行のビルの屋上に、ムクドリがたくさん降りてきているのが見えます。その数はあとからあとから増えてゆきます。向かいの高いビルから見下ろして見ているので、鳴き交わす声は聞こえませんが、相当にぎやかなことと思われます。一度降り立つと余りその場所から動かないように見えるけれども、何かのきっかけがあると一斉に飛び立ちます。どうも彼らには好みの屋根があるらしく、すぐ隣のビルの屋根には集まっていません。やがて日の暮れとともに、彼らは少しずついなくなりました。近くの公園の林に帰るのか、あるいはビルの屋根の隙間などに寝る場所があるのかもしれません。
 それをずっと見ているこちらも、すべての仕事が終わる少し前の、ムクドリのような立場。ずっと以前、中国文学の泰斗である吉川幸次郎先生が、大学を辞められるときにあるエッセイの中で「帰林鳥語」という言葉を使われたことを思い出しました。唐詩の中の言葉とのことで、日暮れに林に寝に帰る前の鳥たちがおしゃべりをしている様子の意味だと言われていました。吉川先生はご自分の立場を鳥になぞらえて、自分も少しエッセイの中でおしゃべりをしてみようかと書かれていたように記憶しています。
 それから何十年か経ち、今はこちらがそのような立場に近づいていることが、何か不思議なことのように思えますが、帰林鳥語という言葉はなかなか味のある言葉ではないでしょうか。