木を植える人

 「木を植えた人」という絵本があって、確か南フランスのあたりで荒れ地になってしまった場所に木を植え続ける男の話だったと思いますが(手元にないのではっきりしません)、静かで割合感動的な話だったように思います。日本でも宮沢賢治の「虔十公園林」という作品がやはり木を植える人の話になっています。ちなみに現在書店で手に取ることの出来る「木を植えた人」の絵の方は、私はあまり感心できなくて、昔見たフォロンの挿絵シリーズが抜群に良かった記憶があります。
 何故これらを思い出したかというと、最近森に関する学術書を手に取る機会があり、その中で、木を植えることが必ず善であるという「植林神話」があるという箇所を読んだためです。森自体(植物自体)は自己の保存のために生きているので、人間にとって都合の良い面もあるし都合の悪い面も当然持っている。洪水を防止する機能を持つ森と、逆に渇水時に水を保全する機能を持つ森とは同じではないし、生物の多様性を保つにしてもどの生物を守るかによって木や森の種類は異なってくる。というような内容でした。(あまりに簡単に読み飛ばしてしまって、著者には申し訳ありませんが)
 こういうことははっきりと考えたことがなかった(知識もなかった)ので、今まではただ漠然と木を植えることは善という思いが無意識的にありました。その本の中で砂漠に植林をすることについての部分があり、「水が少ないところでは、樹木と人間は水を取り合う関係にある」と記されてあります。ただ植林に行くことが善ではないという認識です。これは考えさせられました。
 雨の少ない季節には庭の木もしんなりしますが、こちらが与える水はどこで誰が取り合っているのかと。