ルーマニアについて(2)

 ルーマニア北部のマラムレシュという地方で、17歳くらいの男の子が話しかけてきたことがありました。自分は日本のアニメ、マンガが好きで、英語版からルーマニア語への翻訳の仕事をしているとのこと。こんなところにまで影響が及んでいるのかと驚きました。その子は「ナルト」というアニメの中で主人公が、「だってばよ」という言葉をよく使うがその意味を翻訳するのに困っていると言っていました。どういう意味かと聞かれてもこちらも窮してしまい、日本へ帰ってからメールで返事をすると、その場を収めましたが、こちらも読んだことがないので後で調べてみました。この表現をどう訳すのかということは、ネット上でいろいろ意見があるということも初めて知りました。一応の返事は出しましたが、満足できたのかどうかはわかりません。
 また、バイア・マーレという町から乗った列車のコンパートメントの中で、一緒になった16歳の女の子が、きれいな日本語で話しかけてきて、やはりアニメ、マンガが大好きだということ、さらにその子は夏目漱石から村上春樹小川洋子川上弘美まで読んでいるというので、これにも驚きました。「吾輩は猫である」が面白かったと言っていましたが、本当にわかるのかしらん。ともかく、時代は大きく変わっているという印象です。
 ちなみに、中部のトゥルグ・ジウという町からの帰りの列車のコンパートメントの中で、やはり、日本人かと話しかけられました(英語で)。その人は年配の女性で(60歳くらい)、アメリカの大学で比較文学の分野をやっている人のようでした。さすがにその人の話は三島、谷崎、川端というクラシックなところに限られていて、マンガについては話題になりませんでした。
 しかしこんなに短い滞在の間、こうして日本の文化について興味を持つ人にたくさん会うことは、私が初めてヨーロッパに行った40年近く前には考えられなかったことです。改めて日本の立ち位置ということに考えさせられました。

ルーマニアについて(1)

 八月に二週間ほどルーマニアを旅しました。ルーマニア北部、ウクライナとの国境近くの村々を歩いて、古い木の教会や中世の要塞教会群を見るのが主な目的。それでも行く先々でルーマニアの人たちから、なぜルーマニアなのかという質問をよく受けました。ほかにもスペインやフランスなど魅力のある国々がたくさんあるではないか、というわけです。これに答えるのは結構難しい。もともとこのルーマニアの北部に興味を持ったのは、このあたりに中世のとは言わないまでも、ヨーロッパのかなり古い生活様式が今も生きて残っていると聞いていたからですが、そう言ってしまってはなんだか時代遅れを指摘されているようで彼らには愉快ではなかろうし、かといってルーマニアの人たち自身もこうしてやって来てくれること自体は歓迎している様子だからです。
 結果的には非常に旅行し甲斐のある場所でした。道路には車と一緒に荷馬車がたくさん走っています。奥のほうの村では車より馬車のほうがまだ多いのではないかという感じです。村の朝には、昔ながらの鋤や鍬を担いで農作業に行く人たち(年よりも若い女性も)。西洋の絵によく見る死神が持っているような長い鎌を、実際の草刈りに使っていました。村に一軒しかないよろず屋の店先で、夕方ビールを実にうまそうに飲んでいる男たち。
 しかし泊まった民宿のご主人は、アメリカあたりに長く行っていたのではないかと思える、英語の堪能なインテリの感じの方でした。このあたりのプルーンやナシのブランデー(パリンカ)をふるまってもらいながら、ルーマニアの経済が何に支えられているかというようなことを話してくれました。こちらも知識がなかったので驚きましたが、電力の輸出をしているとのこと。そのためにもこれから原発を新設すること。一部レアアースをはじめ、鉱物の産出があること。ヨーロッパ先進国からの工場進出などで、部品産業を中心とした雇用が広がっていること。それでも若い人の雇用状況が悪く、多くの人が国外に働きに出ていること、等々。古いヨーロッパの生活様式が、どのように変わってゆくのか、気にもなるし、また変化は必然でしょうからその変わり方に興味もあります。

ソングライン

 先日の新聞に、放射性廃棄物処理に関して、その処分場が危険であることを遠い未来の人間に伝えるためどうすればいいかという話が載っていました。一万年ほどという長い時間の後。今の言葉、記号、絵などは多分変容していて、伝わらないだろうということです。アメリカの学者の考えたことは危険伝説を代々伝えてゆく教団のようなものを作るということでした。こういうことを考える人もいるのかという感じです。ちょっと、宇宙に存在するかもしれない高等生物にメッセージを送るという話とつながるところがあるかもしれません。
 もう一つ思い出したのは、昔読んだ「ソングライン」という本で、アボリジニの人々が遠い先祖の足跡をたどるため、地図ではなく歌の伝承で正しくその道を見つけることができるというような内容でした。非常に面白かった印象を持っています。このやり方と通底するところがありそうです。

爛柯(らんか)の話

 中国の説話の中に爛柯の話があります。民話のパターンの一つですが、木こりが山中で碁を打っている二人の仙人と会い、その一局を見ている間に自分の柯(斧の柄)が腐爛しているのに気づく。山を下りてみると百年ほどが経っていた、という話です。リップ・ヴァン・ウィンクルなど、似た話はほかの国にもたくさんあると思います。
 碁の勝負を見ている間に、いつのまにか世界が変わっている。あの震災の前と後とのことを考えると、何か似た思いを持ちます。その間に起きたことというのは、仙人が、あるいは何者かが打ち下ろした石の一手だったのか。山から下りてきた木こりは、茫然とかつてあったはずの世界を眺めている。ゆっくりと崩れてゆく原子炉は、木こりの斧の柄であるか。
 柯が腐爛して崩れてゆくのに、木こりの体に何の変化も現れないのは、彼が仙人から与えられた棗を食べたためということになっています。放射線が人体に与える影響は、細胞のがん化とともに細胞の老化であるという話を聞いたことがありますが、棗に相当するものはあるのでしょうか。
 また別に、こういう時間経過の不思議に関して思いをいたさない、それに関連した民話を持たない民族というのはあるのだろうかとも考えます。もしあったとしたら、その時間に対する概念はどういうものなのか、ちょっと知りたいように思います。

ものが壊れるということ(2)

 大がかりな建造物が壊れるということに関して、モンス・デシデリオという画家の絵を思い出しました。壮大なローマ風の宮殿や街が崩れ行く様、あるいは静まったその廃墟の風景を数多く描き残しています。これは一体何だろうか、と言うのが最初の感想でした。なぜ、このような光景に惹きつけられるのか。破壊に対する欲望ということは確かにあると思いますが、破壊された後の静寂の風景に惹きつけられるのはどうしてなのでしょうか。死後の世界に思いを致すのと同じなのかどうか。
 幻想的な小説を書く山尾悠子さんが、この画家の絵に言及しているのを読んだ記憶があります。
 ところで、絵の中に描かれている巨大な石柱の壊れ方は、本当なのだろうかというのが別の感想です。古代の建築法に関する知識はありませんが、石を積み上げた構造が壊れる時は、一体どのように壊れるのか。イタリアでいくつかローマ時代の遺跡を見て、確かに石柱がすぱっと水平に折れて残されていたように思います。画家はそこから如何に想像をふくらませていったか、興味のあるところです。
 画家は残された破壊の跡からものの壊れる様子をイメージしていったと思われますが、ものを作るエンジニアは正常な構造物が如何に壊れるかを、実験を通してあるいはシミュレーションによって把握しなければ成りません。その時に必要な想像力(イメージする力)は、同じであるかも知れません。

ものが壊れるということ(1)

 今回の大災害に関連して、ものが壊れることに今まで以上に思いを馳せるようになりました。地震及び津波の巨大なエネルギに対し、多くの構造物が破壊されたのをリアルタイムで目にしたわけです。
 一体、ものが壊れるというのはどういうことなのか、分かり切ったことのように思えますが、ミクロな視点で見れば、最も弱い部分に亀裂が発生し伝播してゆき、最終的な破断に至ること。もっと小さく原子のレベルで見れば、原子同士を結びつけている結合力が切られて、物質としての形をなさなくなることと言えるでしょうか。
 どのように材料が破壊に至るかということは、ミクロなレベルでも原子のレベルでもかなり分かるようになってきています(マーク・エバハート「ものが壊れるわけ」河出書房新社・はこの領域の好著だと思います)。壊れないものを作る必要は当然あるわけですが、では決して壊れないものを作るのは良いことなのかどうか。形あるものは必ず滅す、と言わないまでも、決して壊れないものというのは困ることになるはずです。とすると、その限界をどこに置いたらよいのか。

 また、これは別のことですが、最近の若い人に情報系の知識が爆発的に増えていることは確かで、必要なことではあるのですが、逆に物質の手触りのようなことに疎い人が増えているようで、少し気を付けなければいけないのではないかと思うようになりました。工学系を学ぶ若い人たちに、ものが壊れるということに対する想像力が足りないのではないかという危惧です。

運命の橋

 今度の大震災で大変な被害にあった三陸海岸沿いの土地は、随分昔に徒歩で旅行したことがあります。こんなに高いところまでと思われる場所に明治期の大津波の達した地点表示がたくさんあって、驚いた記憶がありますが、今回はさらにそれを上回ったわけで信じられない思いです。

 亡くなった方、助かった方のニュースを見て、やはり随分昔に読んだソーントン・ワイルダーの「運命の橋」という作品を思い出しました。南米ペルーの峡谷に架かる橋がある日落ちて、たまたまそこにさしかかった5人の人が犠牲になったという事件をモデルにしています。その5人が犠牲になったことに神の意志が働いていたのか、ということを探求、記録しようとした神父の行動に焦点を当て、神の意志が存在しないことをにおわせた書物を残したため、神父が処刑されたという結末だったと思います。今回の被害に対してそのようなものを当てはめる気持ちは全くありませんが、他の国ではそんなことを考える人がいるのかも知れません。ワイルダーは「我が町」という戯曲が割合に上演されている作家だと思います。